東京スプリングホームレスパトロールがThe Japan Timesで紹介されました

東京スプリングホームレスパトロールがThe Japan Timesで紹介されました。英文記事の和文を掲載いたしますのでどうぞお読みください。


英文記事はこちらをご覧ください。
BY SIMON SCOTT

東京のホームレス:社会の割れ目からこぼれ落ち凍りつく人々

- Homeless in Tokyo: Fallen through society’s cracks and frozen out - BY SIMON SCOTT


12月も半ばに差し掛かったある土曜日の夜8時半。新宿駅東口は綺麗に着飾った様々な年齢の男女でごった返していた。友人や同僚と待ち合わせているのか、各々が清潔感にあふれ手にはスマートフォンを持っている。

彼らの多くは東京でも有数の繁華街へと繰り出し、レストラン、バー、カラオケボックス、クラブなどで一夜の饗宴を楽しもうとしているのだろう。

その群衆の中に、他とは全く違った夜を過ごそうとしている6人の集団があった。3大陸にまたがる彼らの出身国は様々で、2人の日本人、また2人のヨーロッパ出身者、アメリカ人が1人とコスタリカ人が1人である。彼らは今夜の「東京スプリング・ホームレス・パトロール」参加者で、ホームレスたち−−−ダンボールの家で飢えと寒さに耐え、次の酒場に向かったり暖かい我が家への帰路についていたりするほろ酔い加減の通行人には決して目をとめられることのない新宿の亡霊たち−−−に生命線となる物資を渡すことを一夜の任務としていた。

集合した彼らは、参加者たちが持ち寄った、あるいは支援者から寄付された様々な物資を路上に広げ、仕分けを始めた。ビーフシチュー、温かいお茶、飴、クッキー、わかば(ホームレスに最も人気がある煙草)、タオル、マスク。そして寒さを防ぐための様々なもの。寝袋、ヒートテックの下着、ネックウォーマー、ホッカイロ。その全てが新品である。

時はクリスマスシーズン真只中であり、首都圏でもキリスト教会などの宗教団体により他にもホームレス支援活動は行われていたが、「東京スプリング・ホームレス・パトロール」に宗教色は一切ない。東京スプリング自体は映画上映やディスカッションなどのイベントを行う左翼系の団体である。しかしホームレスパトロールは政治的な活動ではなく、参加者がマルクス主義者であったりアナキストであったりする必要はないという。

パトロールの発起人の1人であるボスニア人スレイマン・ブルキッチは、特に冬の間はその量に関わらず常に寄付が必要であると言った上で、以下のように語った。

「寄付はなにもお金である必要はありません。何が必要か私たちに直接連絡してくれてもいいし、可能であれば私たちの活動に参加して自身の目で確かめてください。たとえ寄付をしなくても、少なくともホームレスのことをなにも知らないままあれこれ決めつけたりするのは辞めてください。ある社会集団の価値、人道的水準は、その最も弱い構成員がいかに扱われるかによって測られるのです」。

アメリカ人の参加者クリス・ウォレン(35歳)は、カバンいっぱいのベーグルを持ってきていた。このベーグルは横須賀にあるベーグルカフェNICOから寄付されたものだという。

「このベーグルは様々な高品質の材料を使ってまさしくゼロから作られました。ホームレスのみんなは結構なご馳走にありつけるわけです」と彼は言う。「ほとんどのスーパーやパン屋はまだ食べられる食品を大量に破棄しています。こういったところからもっと食品を得られるといいのですが」。

ウォレンは以前は米海軍の兵站技師として働いていたが、その道を捨て英語教師にしてアナキストとなった。彼はそのことを隠そうともしない。彼の地毛である黒い頭髪の中央は真っ赤に染め上げられ、さながらアナルコ・コミュニスト(無政府共産主義者)たちの黒赤旗のようである。

「ホームレス支援はアナキズムの基礎である直接行動と相互扶助の最良の例です」と彼は語った。「このベーグルは売れ残りで、何の問題もなく食べられるにも関わらず普通なら廃棄されてしまっていたでしょう。現代社会では食料の総量が問題なのではなく、その分配が問題なのです。大量の食料廃棄を目前にしつつ飢えなければならない人がいるという事実こそが、私たちが暮らす資本主義社会について雄弁に語っています」。


激化する精神疾患


物資の仕分けが終わると、参加者たちは新宿駅の東側に点在するホームレスたちを探しに出発した。

新南口の近くの狭いトンネル内に一晩の宿を求めて2人のホームレスがいた。まばゆい裸電球に照らされ、折りたたんだダンボールの上に座っている。そのうちの1人、近畿地方出身という驚くほど健康に見える52歳の男性が、ビーフシチューをすすりながら話をしてくれた。

この匿名希望の男性は、昼間は市役所関係の人が嫌がらせをしてくるため夜の間眠るためだけにここに来るという。

「私は20年前あるIT企業の情報部門で正社員として働いていました。しかしバブルが崩壊して会社は倒産。しばらくはアルバイトで食いつないでいましたが、十分なお金は稼げず7年前にホームレスになりました」。

隣接したトンネルにはガラクタやゴミでいっぱいのダンボールで暮らす老人がいた。彼は優雅な仕草で煙草や寝袋などの物資を受け取ったが、明らかに現実とは違う世界の住人であった。彼は大きな緑色のエイリアンのぬいぐるみを抱きしめ、なんども誇らしげにそれが自分の子供であると主張していた。

次のホームレスを探す道中、ブルキッチはホームレスたちの精神疾患について語った。

「私の知る限り、彼らのほとんどは精神的な問題を抱えています。でもそれは、この寒空の下で眠り、ひどい食生活−−−食べるものがあればの話ですが−−−によるものです。そんな状況下で精神的におかしくならない人がいますか?」

「ホームレスではない私たちの中にさえあまりに多くの人が精神疾患を抱えています。資本主義国での鬱患者の割合、特に若者の孤独。孤立感、疎外感。これらすべてが現在の体制により生まれているのです」。


贈り物:新宿駅近くのホームレスに飴やクッキーを手渡す
東京スプリング・ホームレス・パトロール参加者エレナ・ケサダ・ディアス。

駅の東口周辺のパトロールを終えた参加者たちは、東京でも有数の花見スポットである新宿御苑に向かった。御苑自体は夜間施錠されているが、フェンスと道路の間の空間は幾人かのホームレスが野営地としていた。

20年間ホームレスとして暮らし、この場所でダンボールの家に暮らすコバヤシ(70歳)は、この辛い生活に慣れきっていたようで最悪の天候にも動じなかった。

雨や雪の日は辛くないか尋ねると、彼はシンプルに「大丈夫、このシートを屋根にするだけです」と答えた。

それから彼はホームレスになった経緯を説明してくれた。

「私は建築作業員でしたが、ガンになってしまいました。クビにはならなかったけれど、体調が悪化して仕事をできなくなり、ついにはホームレスになりました。支えてくれる家族もいなく、会社も健康保険がなかったのです」。

また、彼が入院中は福祉局の人が訪ねてきて手術代を出してくれたものの、その後は一切の援助はなかったという。

「私は若い頃一生懸命働きました。しかし今日本政府は何もしてくれません」。コバヤシは支援団体が渡しに来る食料と、アルミ缶を集めて得た収入で生き延びられていると話した。

「この生活は楽ではありませんが、助けてくれる人もいます。アルミ缶を集めて1週間に1,000円ほど稼いでいます」。


最終到着点


パトロールの終点は新宿駅西口の空中広場だった。時刻はほぼ深夜、冷たい風が屋外の通路に吹き付けていたが、シャッターの閉まった店舗の暗い軒先には10数人のホームレスが寝ていた。そのうちの1人、匿名希望の元サラリーマン(64歳)はまだ起きていて、ホームレス生活の現実について語ってくれた。

「一度路上で生活するようになってしまうと、再び職を得るのはとてつもなく難しい。この国には仕事はありますが、住所、携帯、身分証なしでは就職は不可能です」。

ホームレスは政府からの支援を得ようとする際にも似たような苦境に直面する。彼らは生活保護を受けるのに十分な環境にありながら、必要な書類がないために申請すらできない。

この男性が言うには、もし政府がホームレスに金銭的な援助を行えば、彼らの生活環境から来る肉体的な病気を減らせるだけでなく、彼らのモチベーションにも好影響を与えるはずだという。

「この人たちは(と近くのダンボールに隠れた顔のない人間たちを指し示しながら)自分のお金を持ったことはおろか文字通り見たことすらないのです。支援団体からもらう食料や物資だけで暮らしています」。

「もし彼らが政府からお金、それも本当に少額でもいい、1日500円、1ヶ月20,000円だけでももらえたら、とても大きな変化となるでしょう。お金を見たことがないと、一生懸命稼ごうという気持ちすらなくなってしまいます」。


ダンボールは紙だが役に立つ:新宿のホームレスの一人に新品の寝袋を渡す東京スプリングのメンバー、スレイマン・ブルキッチ。「ある社会集団の価値は(…)その最も弱い構成員がいかに扱われるかによって測られる」

この男性は、日本ではホームレスは政府からだけでなく一般の人々からも無視されており、これが悪循環の元となっていると語った。

「ほとんどの日本人は私たちに同情してくれていると思います。しかし彼らはただ通りすぎるだけで何もしません。状況は悪化の一途を辿り、モチベーションは地に落ちます。少し何かをしてくれるだけで、何かをあげるだけで、私たちの心は温まり活力が生まれてくるのです」。

アメリカやヨーロッパでは一般の人々もホームレスに小銭をあげたりするのに、日本人はほとんどしない、と彼は付け加えた。

「中にはホームレスを助けたそうにしてくれる人もいますが、他の日本人が見ている前ではしづらいようです。例え助けようと思っていてくれても、何もしなければ同情すらしていないのと同じです。日本人がみんな冷血だ、と言いたいわけではありませんが、彼らはホームレスと関係を持ちたくないようです。こうして私たちはこの生活から抜け出せなくなっていくのです」。

最終電車に飛び乗る前、冷たい風が吹き付ける新宿駅西口でブルキッチはホームレスパトロールを行う心情について赤裸々に語った。

「正直に言って、こんなことはやりたくありません。この寒い冬、暗い夜道を歩き回って沈みかけた船に応急処置しかできない。暖かい家にいた方がずっといい。それでも、何もしないわけにはいかないのです。人類の一員として、お互いを思いやらなければなりません」。


貧困に対する取り組み


アメリカ人のチャールズ・マクジルトンは、2000年に国内初のフードバンクSecond Harvest Japanを立ち上げた。この団体はホームレスを対象にしてはいるものの、大多数であるより広い意味での貧困層に焦点を当てている。

「日本国内だけで2,000万人の人々が貧困層とされています。貧困層の基準は世帯収入が国内の平均収入の半分以下の層と定義されているため、年収が230万円を下回る世帯は相対的貧困層とみなされます。さらにその中で、130万世帯が月収およそ10万円で生活しています」とマクジルトンは語った。

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Homeless in Tokyo: Fallen through society’s cracks and frozen out
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