The Nobodies: Helping those who cannot help themselves, a few at a time - 路上生活の人々に救いの手を: 「東京スプリングホームレスパトロール」の活動

全国的に記録的な寒さとなる中、生活に困窮してやむなく路上で寝泊まりする人々を応援している団体があります。在京外国人を中心に活動する「東京スプリングホームレスパトロール」です。メンバーが新宿や上野などのホームレスが暮らすエリアを巡回し、食べ物や防寒対策などの物資を配布したり、生活のアドバイスに乗ったりしています。代表を務めるスレイマン・ブルキッチさんに活動をリポートしてもらいました。


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トマ・ピケティの『21世紀の資本』。私はこの本を買ったもののまだ読んでいない。しかしその本の示さんとするところを見るなら、19世紀のポルトガル出身の詩人、アルメイダ・ガレットの言葉を引用するのがよいだろう。「経済学者と道徳家に問う。一人の金持ちを作るために、いったい何人の人々を苦悩、過重労働、失望、荒廃、無恥蒙昧、抗し難い不運、貧困のどん底に追い込まれなければならないか、計算したことはあるのか?」

私は東京スプリング・ホームレス・パトロール(以下TSHP)のメンバーだ。TSHPは2016年10月から東京の路上生活者に手を差し伸べるボランティアグループである。私たちがすることは、とにかく歩くこと。天気がどうであろうと、どんなに支援品を詰め込んだバッグが重くても。

私たちは2週間に1度、日曜日と月曜日の夜に新宿の2ヶ所を、水曜日の夜には上野の公園と駅周辺を、そして多摩川沿いの丸子橋周辺を廻る。1ヶ月におよそ200人の路上生活者に支援をする。そのうちの何人かは私の自宅の近所に住んでいて、毎週木曜日の夜に支援を受け取りに来る。多摩川以外の地域のパトロールは夜に行われる。20:45に集合し、21:00に開始。およそ1時間ほどのパトロールだ。

多摩川沿いのパトロールは大抵2人のメンバーによって行われる。メキシコ出身のアルベルトと旧ユーゴスラビア出身の私。重い荷物を背負ったまま自転車で45kmほどの行程だ。メンバーを紹介する時は私は必ず皆の国籍を書くようにしている。私がTSHPで最も気に入っている点は、全くの知らぬ同士が助け合う、言ってしまえば国際連帯が実現されていることだ。現在メンバーの出身地は日本、中国、インド、メキシコ、ミャンマー、エルサルバドル、イスラエル、イギリス、アメリカ、トルコ、ホンジュラス、スイス、旧ユーゴスラビアなどに渡っている。

活動を通して最も大変なのは支援物資を集めることだ。悲しいことではあるが、十分な物資が揃うことは決してない。毎日、私は自宅に集めてある缶詰を眺める。食べ物の中でも缶詰は最重要だ。他のものは遠く及ばない。

次に大変なことはどちらかと言えば心理的なものだ。すなわち壊れた人間たちの痛ましい話に耳を傾けること。つい先日も上野駅の近くで私たちは路上生活者の女性に支援物資を渡していた(路上生活者の女性を見るのは輪をかけて痛ましい)。その時1人の男性が薄い段ボールをコンクリートに敷き、横になるのが見えた。彼にとって幸運なことに、まだ物資は若干残っていた。

私たちは彼に近づき、物資を差し出した。彼は突然何度も繰り返しだした。「嫁が死んだ、嫁が死んだ、嫁が死んだ........。」私は彼の横にしゃがみ込み、彼の肩に優しく手を置いた。彼は同じことを言い続けていた。どうやら彼の妻は脳卒中になり、過去8年間脳性麻痺を抱えて暮らしていた。彼がほとんどの介護をしていたという。

どうして路上で生活するようになってしまったのか聞くと、大家に追い出されたと彼は言った。大家はアパートを取り壊し、土地を売ってしまおうとしていたそうだ。
 去り際を逃してしまった。私の手は彼の肩に張り付いたまま。私は彼に何か必要なものはないか聞いた。「ご飯」と彼は言った。「ご飯が欲しいです。とにかくお腹が減ってしまって。」
 私たちは彼に物資を渡し、また来ると伝えた。

彼に限らず、誰にとっても一瞬でドン底に落ちるのは実に簡単だ。私のある親しい友人は同じような状況を体験した。彼は妻(既に故人)のガン治療費のために借金を背負い、家は差し押さえられてしまった。彼を迎え入れた友人がいなければ彼も路上に暮らす身であっただろう。彼はフルタイムの仕事があったため、しばらくして何とか生活を立て直した。

私だって同じようなものだ。「ブラック」企業との労働争議が長引き、私は路上生活者になる一歩手前だったのだ。私を引き入れてくれたパートナーがいなければどうなっていたことだろう。友達のソファか、あるいは路上で眠っていたかもしれない。私は日本の社会保障制度が極めて弱いことを身をもって学んだ。

どんな政治経済制度がこんな状況を作り出しているのか?社会の際から転がり落ちると人間の心理がどうなってしまうのかさらに書きたいところだが、それには紙面が足りない。

日本が、世界で第3位の経済大国がこれだけの路上生活者を抱えていることは歯痒く、心苦しく、恥ずべきことであると言わざるをえない。コロナウィルスの感染拡大は最初から不安定な状況にいた人々の生活を悪化させただけだ。

多摩川沿いでは私たちはたった11人の路上生活者にしか手を差し伸べせない。それ以上の物資を運ぶことができないからだ。彼らの全てが、主に中学生や高校生から投石や打ち上げ花火で嫌がらせを受けている。テントに放火されてしまった老人もいる。ソーラーパネルを盗もうとした少年と喧嘩になりかけた男性もいる。醜い話は尽きることがない。

明るい話もある。私と仲の良い路上生活者に長崎出身の元大工で現在70歳のオオヤマさんがいる。彼は川沿いに「前”園”芸術」を作り上げ、野菜とハーブを育てている。彼はつい最近卵のために飼っているウズラを守るため2メートルの大蛇と戦った。蛇を捕まえ、口をこじ開けて半ば飲み込まれたウズラを引きずり出したそうだ。捕まえた蛇は藪に投げ込んだが、その際左の手首を噛まれた。悲しいことにオオヤマさん今胸部に痛みがあるため病院にいる。

ある時は、珍しいことではあるが、20代半ばという若さの男性が新宿中央公園のベンチで寝ていた。彼は東北出身で小さな建設会社で働くために上京したが、ある日社長が2ヶ月分の給料を未払いのまま失踪した。彼が言うには地元に戻るのは恥になるため、次の仕事が見つかるまでは路上で生活しているという。

ある社会の人道的発展を測るには、その最も弱い構成員がどのように扱われるかを見るのがよいと私は信じている。東京スプリング・ホームレス・パトロールにできるのは手の届くごく少数の路上生活者に一時凌ぎの安心を与えるにすぎない。日本の政府も社会も、この問題に目を向けるそぶりはない。

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