Die-hard fighters of social injustice help homeless get back in the game 「居場所」をシェア:「さんきゅうハウス」の挑戦

ホームレスや生活困窮者のためのシェアハウスが東京都内にあります。NPO法人「さんきゅうハウス」(東京都立川市)が2013年から運営し、ハウス併設の「さんきゅうカフェ」では週2回、手作りの食事などを提供しています。このカフェでボランティアとして活動するスレイマン・ブルキッチさん(ホームレス支援団体 Tokyo Spring Homeless Patrol 主宰)に、その活動や成り立ちをリポートしてもらいました。





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さんきゅうハウスと「シェアコーヒーの貯金箱」

スーレイマン・ブルキッチ

自分が見たいものだけを見る。自分が信じたいことだけを信じる。
— 伊藤計劃『虐殺器官』

お客「『おまかせ』ください。」
私「はい。ありがとう。」

立川市西国立駅近くのさんきゅうハウスのカフェでは、12時ごろになるとこんな言葉が交わされる。さんきゅうハウスを手短に説明するなら、「貧乏人たちが、よりどうしようもなく貧乏な人たちを助けている場所」ということになる。ここで私はボランティアのようなことをしている。「のようなこと」というのは、一日の終わりに私は2千円を、恥ずかしながら受け取っているからだ。私も文無しだから。月曜日にばかり月に2回、ときに3回ここで働いている。カフェは木曜日もやっている。料理する人と補助する人が数名いる。月曜日にはかおるさんか、おけいさんがいる。かおるさんは一番可愛く素敵な女性で、料理も素晴らしい。私は彼女ともっぱらフランス映画とフランス音楽の話をする。おけいさんも料理が上手で、本当にロック好き。「ローリングストーンズ最高!」—彼女自身バンドでボーカルをしている。彼女のおしゃべりは主に猫について。「猫大好き!」おけいさんは時々さくらちゃんを連れてきて、挨拶を交わす。近所に住んでいるのだ。

私は10時に到着する。もしかおるさんが当番なら、彼女はすでに料理をしている最中だ。それからエディという、元ホームレスで今は店子として上の階に住んでいる人がいる。さんきゅうハウスは3階建てで5部屋あり、それから隣のアパートのもう2部屋と合わせて、全部で7部屋あり、そこに7人の店子が住んでいる。皆元ホームレスで、生活保護を受けている。さんきゅうハウスを運営する人々の助けがあって生活保護を受けることができるようになったのだ。生活保護費は生活扶助費と住居費を合わせて13万円ほど。家賃5万円、食費と水光熱費4万円を差し引いて残りの4万円ほどがひと月の生活費になる。7人いるからひと月の家賃収入は35万円。しかし建物の家賃は40万円である。

なぜ「エディ」なのか?彼はエディ・マーフィの大ファンなのだ。60代の彼はカフェに着いた私をあれこれ助けてくれる。シャッターはすでに上がっていて、建て看板なども表に出ている。静かで目立たない人だ。エディは貧しい家庭の出で、軍事トラックを造っている工場で15の時から働いていた。搾取されてきた。あのバブルという、かつての日本経済の奇跡はまだ続いているという幻想のために。バブルがはじけて、エディは苦汁をなめた。ゲームの外にいたのに、ひとたまりもなかった。彼も多くの人々と同じく、経済を宙に浮かせるために働く見えない労働力でしかなく、バブルの恩恵など受けることもなかった。その富は誰かが持ち去ったのだ。「リストラ」という、バブルの残滓を誰かが持ち去るための犠牲となった。エディは転落して、外で寝るようになった。最初は横浜にいて、それから新宿にやってきて、さんきゅうハウスの共同設立者で責任者の一人である吉田さんに「発見」された。

「成りたくてホームレスに成った者なんていない」と柳美里の『JR上野駅公園口』は述べる。

エディが私に語ったことによると、路上生活は彼に深い傷を残した。決してあんな生活に戻りたくないと言う。何日も食べるものがなく、水ばかりを飲み続けて腹を壊した。90年代初めから中ごろまで、ホームレスを支援するグループはわずかだったことを思い返してほしい。さんきゅうハウスに住み始めて5年になる。私はエディが好きだ。

私は掃除機をかけ始める。そしてモップ掛けして、便座カバーを洗い、テーブルを拭き、レジを開け、氷を製氷容器から取り出して別の容器に移し、また製氷容器に水を満たす。到着してやることはいっぱいある。

それからキッチンでかおるさんを手伝う。食器を渡す。彼女は料理をトレイに置いて、私はそれをお客さんに出す。お客さんが食事を終えたら食器を全て洗って拭く。代金をもらい、コーヒーを作る。コーヒーの注文は多い。それらをやっている最中にもお客さんみんなとおしゃべりし、からかうのを忘れない。ときには満席で、私は煙草の時間を取るのもやっとということもある。ここで私が学んだのは、食器を洗わないで放っておくと大変なことになるということだ。4時ごろに仕事を終え、私もおいしい料理をいただき、2千円もらって帰宅する。

さんきゅうハウスは2010年に設立された。今は引退しているが、当時市会議員であった大沢さんの発案によるものだ(ときには政治権力も良いことのために使われる)。当時彼は『ビッグイシュー』を売るホームレスのグループの責任者だった。アパートを借りて、小奇麗なあっち側の社会がホームレスの存在をあまり敵視しないように、ホームレスたちが風呂に入れるようにしたのだ。それが、さんきゅうハウスの原型だった。彼はそれを吉田さんと始めた。吉田さんは豊かな経営者の家族の出で、近畿大学で経営を学んだ。けれど、物質的な快適さに背を向け、物質的な快適さを少数の強欲な者たちの手から奪い、全ての人々に分けるために闘うことを選んだ。現在吉田さんは、コロナ禍で学費を稼ぐためのアルバイトができなくなり大学をやめ、深刻な鬱を発症させた若い人を助けている。吉田さんのアパートに24歳の青年とその友人を住まわせている。彼らが何らかの公的扶助が受けられるように活動している。

ホームレスを入浴させる計画はうまくいかなかった。彼らが入浴したがらなかったからだ。彼らは来たのだけれど、それはもっぱら入浴後のカップラーメンのためだった。

今はここの誰も、不潔で悪臭がすることを望んではいない。でも私は自分の経験から信じるのだが、自分の衛生状況を顧みない態度は、心が虐げられてきたこと、抑鬱、喪失の結果である。私は前の(ブラック企業の)雇用主との闘いのなかで、仕事を失い、家賃を払えなくなって部屋も失った。貯金も底をついた。風呂に入ることもシャワーすることもやめてしまった。垢や臭いを失いたくなかったのだ。不潔は私の存在であり、所有物であり、私に安心感を与えてくれた。私が縋りつくことができる唯一のものだった。それは私からまだ何かを奪おうとやってくる者たちをシャットアウトしてくれた。どん底に落ちてそれ以上落ちることがないという「安全」の中に身を置いたとき、そんな病的な状態ではそう感じるものだ。でもそれが健全だろうか?判断してほしい。

成功しなかった入浴計画の後、大沢さんと吉田さんはもっと大きな場所を見つけることに決めた。ホームレスたちに住まわせて、生活保護を受けさせ、入浴させ、人と交わることができるカフェががある場所。いいアイデアだ。けれど普通に利潤を追及するまともな不動産屋が、ホームレスのグループを招き入れようとする人たちに物件など貸すわけがない。

そしてこれが悲しく、怒りさえ覚えるような、さんきゅうハウスの物語の始まりであった。

不動産業を営む吉田さんの友人のおかげで、完璧な建物—現在の場所—を見つけることができた。この友人もかつての1960年代、70年代の学生/労働運動の活動家だった。荒廃した日本に、生きる場所を生み出すことを主要な活動としていたと言っていいだろう。ところが契約が済んだ直後、ニュースが流れ、近隣住民のほとんどがさんきゅうハウスに反対し始めた。

その反対運動に対応するために、吉田さんはなけなしの寄付金から、攻撃的な住民との調停のための弁護士費用を工面した。すぐ近隣の住民たちはさんきゅうハウスを追い出すために署名運動をし(そんな施設は市からも国からも地球からも追い出すべきだ!)、5百の署名が集まった。5百!ひとりの隣人は他の住人に、さんきゅうハウスのホームレスが娘をレイプするに違いないと触れて回った。吉田さんがこの住人の恐れが根拠のないものであることを指摘したとき、この住人は娘が中学生のとき、ホームレスが何か声をかけてきたと言った。何と声をかけてきたのか、もちろんこの人は説明しなかった。声をかけたと言ったって、たんなる挨拶かもしれないし、それでレイプされるかもしれないとは、ひどい飛躍だ。でも、誰もが知る通り、この住人の目的を果たすにはそんな噂で十分なのだ。そんな人々の間でも、ラーメン屋の主人は特に声高で、さんきゅうハウス関係者にはうちのラーメンを食べさせない、と宣言した。ほかの人々は突然、近所の公園をホームレスたちが寝たり立小便したりして汚すだろうと心配しだした。ほかにもいろいろなことを言ってきた。

近隣5百名からの、これらの憎悪に満ち根拠のない告発、噂話、悪口は、先述の弁護士が両者を話し合いのために招くまで、収まることがなかった。話し合いは紛糾した。敵対が友好に変わったと言いたいところだが、そうはならなかったのである。さんきゅうハウスが結果やっと得ることができたのは、吉田さんの言葉を借りれば、「休戦」だった。さんきゅうハウスの住民とスタッフは、近隣に友好的な姿勢を示すため、週に1回近隣のゴミ集めをしている。今でも、さんきゅうハウスから出てきた者やホームレス風に見える者は向かいのコンビニエンスストアへの入店を断られる。

2011年に、大沢—吉田コンビに新たに素晴らしい人物が加わった(これらの人々は皆60、70代である。誰が彼らの跡を継ぐことができるのか、心配だ)。社会正義のための不屈の闘士、二つの学位も持っていて、素晴らしいコミュニケーターであるイッセーさんである。彼はカフェやその他の毎日のいろいろな任務に就いている。イッセーさんは冷静沈着で吉田さんは燃える男。いいバランスだ。

さんきゅうハウスを運営するにあたって、一番苦労することは何か、二人に訊いてみた。ひとつは、貧困、悲惨、日本社会の残酷さや彼らへの憎悪によって多くの人々が心に傷を受けていて、そんな人々とやり取りする難しさ。もうひとつは、終わることのない寄付金集め。寄付に頼って運営しているのだから。

悲しいことにコロナ禍で物事は悪い方へ進んでいる。毎週土曜日に困窮する人々からの相談を受けている吉田さんによると、その数は急上昇しているという。その大部分がアルバイトやパートの口を失った女性や若い人だ。土曜日は弁当の日でもある。スタッフはちょっとでもハウスの収入を増やすために、持ち帰り弁当を売っている。

カフェの客は、全員でないにせよほとんどが常連で、何らかの形でハウスの円滑な(そんなことが可能なら!)運営のためにかかわっている。催し物もある。月1回の「幸せクラブ」では、困難を潜り抜けてきた人々が互いに語り合い、励ましあう。

さんきゅうハウスについて、まだまだここには書ききれないことがいっぱいある。たとえば常連さんについて。たとえば私が「図書館」さんと呼んでいる、70代の紳士がいる。保障のない仕事に就きながら、すでにバブルの崩壊やリーマンショックを予期してテントを買って準備していた。3年間ホームレスとして過ごし、小銭をこつこつと貯め(自らの健康と引き換えに)、ついにアパートを借り、生活保護を受けることができた。それで私たちと同様、最初のコロナ緊急事態宣言下で給付金10万円を受けたのだけれど(ホームレスだと受け取れない)、この人がそのお金でやったことは、彼の近隣の病院に全て寄付するということだった。

さんきゅうハウスの美点は忍耐と親切にある。忍耐は親切心の現われ方のひとつである。

カフェの皆から見えやすい場所には寄付金箱が置いてあり、多少持っている人はそこに小銭、たまにはお札を入れる。お金は、食べるお金がない人がここで食事できることのために使われる。その箱は「シェアコーヒーの貯金箱」と呼ばれている。

追記:お志あれば、ぜひさんきゅうハウスにご寄付ください。

カンパ振込先:

郵便振替口座
00190-2-306646
口座名 さんきゅうハウス

ゆうちょ銀行以外からの振込先

銀行名: ゆうちょ銀行
店名: 〇一九店(ゼロイチキュウ店)
口座名: さんきゅうハウス

お読みいただき、ありがとうございました。

Thank You House
or
The box

“We see what we want to see.
We believe what we want to believe.”
From the novel Genocidal Organ by Project Itoh

I believe that in our capitalistic societies, addicted as we are to consumerism, purchasing power is the measure of one’s worth. The poor, the homeless have none so they are none. The less you have, the less you are or, to paraphrase Descartes’s cogito, ergo sum (I think, therefore I am), I shop, therefore I am.

Customer: Omakase kudasai (today’s special, please)
Me: Hai, aligato (yes, thank you)

These are usually the first words I hear around 12:00 pm at sankyuuhausu café, located in Nishi Kunitachi, Tachikawa city. If I had to describe SH in 15 words, it would go like this: It is about people who don’t have much helping those who have less or nothing.
I’ve been (kind of) volunteering there for about two or three years, I say kind of because I do get 2000 yen at the end of the day and I do take the money, with a tinge of shame, though, but I’m broke. I usually work there two Mondays a month, occasionally three. The café is open on Thursdays, too. There are several cooks and assistants like me. On Mondays it’s either Kaoru san, a most sweet and charming lady and an amazing cook with whom I chat mainly about French music and films, or Okay san, also a great cook, really into rock music, The Rolling Stones rule!, herself being a vocal in a rock band, with her chat spins around mainly cats, we love cats! She sometimes even brings Sakura chan to SH for a quick Hi since she lives in the neighborhood.
I arrive at 10 am, if it’s Kaoru san, she’s already there preparing the ingredients, and Eddie, a former homeless, now a tenant in one of the rooms upstairs. SH has 3 floors, 5 rooms, plus 2 in an adjacent apartment house, so 7 rooms in total, 7 tenants, all former homeless, all on welfare now, welfare that they managed to extract thanks to the help of the people who run SH. The rent per room is 50 000 yen (50 000 out of a welfare check that amounts to barely 70 000, the remaining 20 000 yen left are for other monthly “living” expenses), 7 tenants, 350 000 yen, the rent on the building is 400 000 yen.

Eddie, why Eddie? Well, because he’s a big fan of Eddie Murphy. Eddie, in his 60s, helps me around when I arrive at the café, the shutters are already up and the advertisement panels, signs, banners are out front. Eddie started working at the age of 15, coming from a poor family, in a factory making military trucks, a quiet and self-effacing kind, worked hard for a long time, exploited for the most part in order to keep the illusion of the Japanese economic miracle alive, that damn bubble afloat. The bubble burst, Eddie eventually hit the dirt. You can’t resist for long when you hadn’t been in the bubble to begin with, he was, like millions of others, the invisible workforce there just to build and maintain it up in the air. But never to benefit from it. The benefits were taken care of by others. Victim of “restructuring” in order to save what was left of the bubble, it was downhill for Eddie from then on, who ended up sleeping rough, first in Yokohama then in Shinjuku where he was “discovered” by Yoshida san, a co-founder and one of the men in charge of SH.

“Nobody becomes homeless because they want to be.” From the novel Tokyo Ueno Station by Yu Miri.

Based on what he told me, Eddie has been quite traumatized by the whole living on the street experience, he said he never, ever wants to go back to that “life”, he used to go hungry for days on end, drinking water instead, water, water…which eventually caused him terrible bellyaches.
Please keep in mind that in those days, the early and mid -90s, there were very few, if any, homeless outreach groups. Eddie has lived in SH for the past 5 years now, seems happy enough, he’s one of my favorites.

I start by vacuuming, then mopping, next wash the toilet seats, wipe the tables, unlock the cash register, fill containers with ice cubes and refill the empty molds with water, that’s pretty much it upon arrival.
After that I go into the kitchen and stand nearby the cook to assist her by passing her tableware, she puts the food on a tray which I take to customers, after they are done eating I take it all away, wash and wipe it all, take care of the checks, make coffee, lots of coffee orders, and in the process manage to tease them all. Sometimes it’s full house, I barely have time for a cigarette. One piece of advice: never, ever, let dirty dishes pile up! I finish around 4 pm, I get to eat the cook’s delicious food, get my 2000 yen and go home.

SH was established in 2010. The idea came out of the head of a now retired member of the municipal assembly (yes, occasionally, political power is used for good deeds): Osawa san. At that time he was in charge of a group of homeless selling Big Issue. He rented an apartment where homeless people could take a bath so that the “clean” society would be less hostile to their existence. That’s the original SH. He started it with Yoshida san, a diehard fighter for social justice, born in Osaka, graduate of Kinki university, business major, from a well off family of business owners, Yoshida san turned his back on that life of material comfort and chose this one of fighting for comfort for everyone and not only for a greedy few. Right now, Yoshida san has actually let a young man, uni drop out due to lack of money to pay for his tuition fee caused by loss of part time work caused by C19, and ended up suffering from severe depression, Yoshida san has let him live in his apartment and he is staying with a friend until they manage to get some kind of welfare assistance for this young 24 year old man.

The bath plan didn’t work as planned. Very few homeless came to take a bath, I mean they came, but for the snack after the bath, usually a cup of instant noodles.
Now, nobody enjoys being filthy and smelly. I believe that, and this is based on my personal experience, neglecting one’s hygiene is a product of an abused state of mind, a mind of depression, of loss. During my labor struggle against a black company (former employer), I lost my job, I lost my apartment, couldn’t pay the rent any longer, I lost my savings…so I stopped taking a bath, showering, I didn’t want to loose my dirt nor my smell, they were mine, they also provided me with a feeling of safety, something to cling onto, a shield from whomever was tempted to approach me in order to take more away from me. On some sick mental level you look forward to hitting rock bottom because, well, you’ll stop falling and be safe at the bottom, I guess. Is this healthy thinking? You be the judge.

After one year of very little success with the bath project, Osawa san and Yoshida san decided to find a bigger place , with rooms to rent to the homeless on welfare, bathrooms, a cafeteria, a place for socializing. Great idea! But no ordinary real estate agency would in its right (profit) mind ever, ever rent a place to people planning to move in a bunch of homeless.
And this is where the sad and infuriating bit of SH’s story starts.
Thanks to a realtor friend of Yoshida san’s they found the perfect building, the current place. This realtor friend is among others out there, former activists from the 60s and 70s students/workers protests movement, who specialize you could say in renting places to the wretched of Japan. Almost right after the contract was signed, the news got out and pretty much the whole neighborhood was up in arms against SH.
SH was met with such an opposition from the neighbors that Yoshida san had to dig into their meager donations in order to hire a lawyer as a mediator between SH and the aggressive neighbors. The immediate neighbors started a petition against SH to have them evicted from the neighborhood (the city, the country, the planet). They garnered 500 signatures! 500! One next door neighbor started telling the others that he was afraid a SH homeless would rape his daughter, and when pressed by Yoshida san to explain his unfounded and preposterous fears he said that some time in the past when his daughter was in junior high school, some homeless somewhere had said something to her, he of course didn’t say what that something was, could have been a hello, so from a vague something to rape, it’s quite a stretch, but as we all know, a rumor doesn’t need to be true to work. One noodle restaurant owner was particularly vocal in this posse, declaring he would serve no one coming from SH, many others were suddenly concerned about this little park in the neighborhood, that the homeless would render it filthy by sleeping there and shitting and pissing all over it…etc…etc

All these despicable and unfounded accusations, rumors, slanders from 500 neighbors in the immediate vicinity went on for quite a while with no sign of relenting until the lawyer I mentioned earlier invited both parties one day to sit down and talk it out. It was very heated. I wish I could say that amicability had replaced hostility, but it didn’t. The best SH could get out of it was some sort of “détente”, to use Yoshida san’s word.
SH, as a gesture of good will, has set up a team of current homeless and SH tenants to collect garbage in the neighborhood once a week.
To this very day, anyone coming out of SH and looking like a homeless is not welcome to the convenience store across the street.

In 2011 the Osawa-Yoshida duo was joined by another extraordinary man (all these guys are in their 60s and 70s, their age being another reason for concern with who’ll take over after they can’t do it any longer), another diehard fighter against social injustice, this one with two uni degrees under his belt! The great communicator: Isse san. I’d say he’s in charge of the day to day operations related to the café, among other things. Isse san is the pacifying type and Yoshida san a firebrand. Great balance, no? I asked them what the hardest thing was running SH, there were two: one, social interacting with lots of people who have been psychologically damaged by poverty, misery and Japanese society’s callousness and hostility. Two, collecting donations, a never ending struggle, they run on donations.
Sadly, things have gotten worse since the outbreak of C19. Yoshida san, who, on Saturdays, is in charge of consultations with people in need of help, told me that their numbers have skyrocketed, mainly women and young people depending on part time jobs. Saturdays are also bento days, SH staff sell take away lunches, to make a bit of extra money to help them keep their head above water.

Most customers at the café, if not all, are regulars and lots of them on some level involved in its, if that’s actually possible, smooth running. There are also activities, little parties held at SH, there is a monthly shiyawase club (happiness club) where people who are going through hard times or have been there get together and try to cheer each other up.

This piece about SH is in no way enough to describe it because there is so much more, especially about some of its regulars, like this one gentleman around 70, I call him Library, a former homeless who, when still employed in precarious work, anticipated it all, the burst of the bubble, the Lehman shock, got ready, bought a tent, spent 3 years as a homeless, saved enough on his meager savings (at great health sacrifice) to be able to rent an apartment, got on welfare…well this man, the first thing he did with those 100 000 yen aid that we all (except the homeless) received from the government upon the declaration of the first state of emergency, is to donate it to the medical staff at his local hospital.

HS’s main qualities are patience and generosity. Patience itself being a form of generosity.

There is a box on the counter of the café, in plain view of everyone, where those with a bit of spare money put a few coins, occasionally a bill. The money in the box is used to pay for the meals of those who can’t afford one.
The box is called: The share box

PS
Please donate to SH if you can
Thank you
You can donate here:

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