After seasons of COVID, the Tokyo Spring Patrol rides on - 多摩川の河川敷・土手で暮らす人々の生活と支援: 「東京スプリングホームレスパトロール」の活動

今年1月、生活に困窮して路上で寝泊まりする人々を支援する「東京スプリングホームレスパトロール の活動を紙面で紹介しました。東京在住の外国人を中心に活動する支援団体で、ホームレスの人々が暮らすエリアをメンバーが巡回し、食べ物などの物資配布や生活面でのアドバイスをしています。今回は コロナ禍が終息を見せないなか、多摩川沿いの河川敷や土手で暮らす人々の実態と、その生活を支援する活動をリポートします。




 PDF

 JPG 1 / JPG 2

2020年春、新型コロナウィルスの蔓延により世界は活動を停止した。ここ日本で、また世界中で、かつて私たちが享受していた日常生活は揺さぶりをかけられたのである。

3月前後から人々の日々の生活は大きく縮小された。東京スプリングホームレスパトロール(以下TSHP)のメンバーにとってもそれは同じだった。誰かと直接顔を合わせるのは不可思議な体験となり、電車に乗るのは危険な冒険となった。私たちは可能な限り外出を避けるようになり、残念ながら当然TSHPも生活必需品を配りにハブ駅におもむくこともなくなった。私たちは無期限の活動休止へと追い込まれたのだ。

春も半ばを迎え、梅雨とやがてくる夏を思い起こさせるある暑い日、TSHPの創立メンバーである私とスレイマン・ブルキッチは自転車に飛び乗り多摩川の河川敷に向かうことにした。TSHPの中心人物であるスレイマンは周辺地域を熟知しており、河川敷のどこにホームレス(路上生活者)のコミュニティがあるか案内してくれた。念の為彼はいくらかの缶詰を持参していた。

私たちが非公式の多摩川パトロールを行うのはこれが初めてであった。数時間に渡るサイクリングの後、私たちはTSHPの活動を再開し、その対象地域を多摩川河川敷とすることに決めた。多摩川河川敷であれば人混みや電車といった密集地域を避けられ、感染症対策の上で比較的安全と思われたのだ。参加者が主に私たち2人だけであるという点においても、他のメンバーの安全を確保できるだろう。通常の都市部パトロールは感染症が落ち着いてから再開すればよい。

多摩川パトロールは通常の都市部パトロールとは全く違うものであった。まず、肉体的には極めて重労働である。食料品などを抱えて50km自転車をこぐのは容易ではない。しかし徐々に私たちは体力をつけ、効率もよくなったいった。しかしそれにも増して、このパトロールは精神的に厳しいものだった。河川敷に暮らす「住民」たちが直面する現実は、2016年からパトロールを続けるTSHPメンバーである私たちにとっても聞いたことのないものだったのだ。

一見、河川敷は暮らしやすい土地に思えるかもしれない。水もトイレもあり、小さな小屋を建てれば騒がしい都会の駅などで寝泊まりするよりも平和に暮らせる、と。しかし屋外で暮らすというのは、自然の脅威に晒されながら文字通り野宿する、ということなのだ。それぞれの季節ごとに襲いかかる問題は、私たちの想像をはるかに上回るものである。私たちがパトロールに足繁く通うにつれて住民たちも徐々に心を開いてくれ、彼らの直面する現実を教えてくれた。

分かりやすく、かつ致命的なのは雨季だ。降水量が増せば川の水位も上がり、時には死ぬことすらありうる。洪水から着の身着のまま逃げ、わずかな財産すら失ったことを彼らは話してくれた。不運にも逃げきれなかった人もいたという。時々私たちは小屋の痕跡を発見した。かつては誰かの衣食住を支えていた小屋も、今では人間が何とか命にしがみつこうとしていた過去を微かに伝えるのみである。

気が楽になることはない。まして日本のような富める国においてこのような厳しい現実があるとは。

とは言え、全てが辛く悲しいことばかりかと言えばそうでもない。

多摩川パトロールのおかげで私たちはホームレス(路上生活者)とより強い関係性を築くことができた。私たちが来たのが見えると彼らの顔は明るくなり、冗談を飛ばし合い一緒に笑う。彼らの猫を撫でながら音楽の趣味について語り合う。とんでもない話もしてくれる。時には笑いながら。時には絶望に飲まれながら。

例えばモリタさん。彼は年配の男性で、極めて工夫に富んでいる。彼はなんと拾ってきた自転車の部品からダイナモ発電式のラジオを手作りした。彼は以前ヘルメットを被ったまま寝ていたそうだ。子供が石を投げつけてきていたからだという。あるいは、我らが親愛なるオオヤマさん。以前記事に書いた通り、彼は自身が裕福とは程遠いにも関わらず自家栽培した野菜を私たちに分け与えてくれていた。前回の記事から程なくしてオオヤマさんの隣人にして友人のタケダさんから、悲しいことに彼が亡くなったと聞かされた。それでもオオヤマさんは彼の人生を彼なりに終わらせたのだ。タケダさんによればオオヤマさんは病院への移送を拒否し、自ら建て、修理しながら住み続けてきた小屋の中で亡くなったそうだ。程なくして彼の菜園は死に絶えた。彼の小屋は徐々に消え去りながら、オオヤマさんの思い出と多摩川河川敷住民の草魂を歌い上げている。

住民の中には河川敷から橋の下や河川敷へと降りる階段へ引っ越した人たちもいる。大雨でにわか造りの小屋が壊されたり、最悪の場合突然の洪水で死ぬ可能性がある(実際に川に飲まれ、そのまま帰らなかった人も少なくない)からだ。

多摩川パトロールを始めてから私たちはより効率的に活動することを学んだ。自転車を改造し、配布する生活必需品などを運びやすくしたのだ。このパトロールで手を差し伸べられる人数は都市部パトロールと比べて極めて少ない。しかしかかる時間は最も長い。朝の9時から始め、終わる頃には午後の1時から2時になっている。もちろんより多くの人に手を差し伸べたい。河川敷にはまだまだたくさんの人々が暮らしている。しかし現実的に、私たちがパトロールできるのはJR登戸駅から東急線多摩川駅までの間くらいでしかない。

時にはボランティアが参加してくれることもある。それぞれの出身国は様々で、日本、イタリア、スロヴェニア、ブラジル、エジプトなど世界中に渡る。タスクの振り分けも工夫するようになった。最近では私たちはプロ顔負けの手作り弁当、米、缶詰、マスク、お菓子、電池、ガス缶、果物、季節によっては蚊取り線香や寝袋、カイロや衣服を届けている。

条件が許せばTSHP唯一のイヌ科のメンバー、キナコちゃんがパトロールに加わる。厳しいパトロールにおいては彼女が極上の癒しとなってくれるのだ。

多摩スプリングホームレスパトロールは楽なものではないが、時とともに私たちの意思も強固なものになっている。今では季節ごとの問題にも精通した。50kmのサイクリングの後に私たちの心を折ろうと吹き付ける強風。苦い冬の寒さ。8月の焼き付ける日差し。スズメバチの大群。大雨や台風は川を荒れ狂う怪物へと変貌させる。それでも皆さんからの援助がある限り、私たちは自転車をこぎ続ける。社会のひび割れからこぼれ落ちてしまった人たちに手を差し伸べるために。

SHARE
    Blogger Comment
    Facebook Comment