2011年12月31日、私は横浜の寿町を「訪れた」。横浜にいるホームレス等の悲惨な人々に配る年末の食事を準備し、配給する「ボランティア」としてだ。
私は大したことはしなかった。ただ煙草を渡して回っただけだ。この時私は初めて寿町を訪れた。寿町とは日雇い労働者(最近では日雇いの仕事でさえ得られないことも多い)やホームレスの人々が住むちょっとしたスラム街だ。彼らの多くは中年、ないし老人である。とにかく、興味があるなら調べてみてほしい。私は普段新宿の「スープの会」に参加している。そこでは我々の方から、ホームレスのところへ行き食事を配る。しかし寿町で私が見たのは、寒さに震えながらのろのろと進む列に並び、食事を得ようとするみじめな人々だった。いかれた人間たちが永遠に並んでいく。みじめだ。実にみじめだ。
いかれた人々、いかれた顔、いかれた心、いかれた頭脳、いかれた魂。彼らのほとんどは実に醜かった(フェデリコ・フェリーニやエミール・クストリッツァの映画に出てくるような恰好をしていた)。
しかし、彼ら自身が醜かったわけではない。
醜さは酷い食事や栄養不足、悪天候、酷い「生活」環境から来たものであった。
私はショックを受けた。彼らが顔に浮かべていたのは彼ら自身の醜さではなく、冷酷な日本社会の醜さ、日本の「本音と建て前」の醜さ、日本政府の醜さ、日本の資本主義の醜さ、日本の経済成長の醜さ、日本の経済奇跡の醜さだったのだ!
きちんと向き合おう。誰かが奇跡の代償を払わなければならなかったのだ。
君がそれを見つめなければならない。感じなければならない。臭いをかがねばならない。君が孤独を感じねばならない。そして絶望を感じなければならない。さもなければ誰が彼らの味方となるだろうか。
私は友人とともに一人の日雇い労働者の部屋(一泊1500円~2000円程度)へ招かれた。そこには87歳の男性が暮らしていた(この地域には女性はほとんど皆無だった)。ああ神
!(くたばってしまえ!)その狭さ!およそ1.5m×3m。それがすべてだった。さらに細かい点は直接行って見てきていただきたい。寿町のある横浜といえば、誰もがデートだの洒落たワインディナーだのクソみたいなクリスマスライトアップだのを楽しみに行くところだろう!?見えざる人々を見に行け!見えざる壁に手をふれてみろ!
待て!まだ筆を置いてはいない。まだ書き足しておきたい悲惨なことがある。
彼らのようなみじめな人々はどうやら福島での放射能まみれのクソ掃除に駆り出されているようだ。福島では核燃料がメルトダウンを起こし(能無しの野田に言わせればもう安全らしいが)、彼らはもちろん訓練も受けず必要な器具も与えられていない。ひとたび彼らが「帰宅」すると、彼らは次の仕事を干されてしまうのではないかと恐れ口を閉ざしてしまう。これが絶望というものだ!
数年前、元総理大臣安倍晋三(あの下痢野郎)は、「美しい国日本」と言った。
冗談をぬかすなクソ野郎!
日本は醜い!
君達は醜い!
そして人間を破壊する資本民主主義は、それがどんなものであっても醜いのだ!
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