私たち自身の暗部、東京電力

私たち自身の暗部、東京電力
野本陽吾(Nomoto)

1998年頃のある日、東京都内のある駅頭で「原発を止めよう」という署名運動をやっていた私の前に、なかなか格好よくスーツを着こなした若い女性が立ち止まりました。

「原発には反対ですか、どうして反対なんですか」質問されたので、私も一生懸命に説明しました。万一の事故が起きた時の被害がハンパでないことのほか、日頃から誰かが健康を害しながら被曝労働を担わなくてはならないことや、日々生み出される危険な放射性廃棄物の後始末に誰も責任が持てないことを話しました。

「そうですよね……やっぱりね……」相手の女性は、次第に暗い顔になりながら、それでも話をよく聴いてくれ、そして「実は私、東京電力の社員でして」と名乗りました。そうなんですか、お仕事がどうであれ、ご自分の意思表示はしていいですよね、署名お願いします!!私がすかさず要求するのに対して、「それはできないです、私の立場では」。

少し押し問答をしましたが、彼女はとうとう署名せず「申し訳ありません、東電の中にいるかぎりどうにもできないんです……どうか皆さんの力で、原発、止めてください」と言って立ち去っていきました。
内側にいるからこそ止められない、部外者の一般庶民だからこそ止められる。そういうこともあるかもしれないと思いながら、その後も脱原発の運動に関わってきた私でしたが、結局、福島原発の惨劇が起きるまで、原発を止めることはできませんでした。

福島の事故後、東京電力は世間ですっかり悪者になりました。それはそれで当然のことなのですが、でも、原発反対を言い続けてきた私自身には、むしろこの東電叩きの風潮には少々の戸惑いもあります。なんといっても、原発推進で突っ走ってきたのは、日本では他の電力会社も全く同じだったからです(沖縄電力だけは例外です)。

東海大地震の震源域のド真ん中にある、中部電力の浜岡原発。その停止を求めて地元・御前崎市でのデモに行ったときは驚きました。ふつう、デモ隊を規制するのは警察です。しかし、この浜岡原発のお膝元では、街中に警官の姿がほとんど見当たらず、デモ規制から周囲の交通整理までを一手に引き受けていたのは、グレーの作業服姿の中部電力職員ばかり。原発の敷地の正門で「一日も早く原発の運転を停止させてほしい」とのデモ参加者からの申し入れを受けた中電幹部職員は「私たちは信じてるんです、原発の安全性を。だからこそ私たち自身がこの地元に住んで子育てもしています」と答えました。まさに町そのものと一体化した中部電力の原発職員たちの姿も、そこでは垣間見えました。

ただし、ここで一つ、忘れてならないことがあります。中部電力などの7つの電力会社が全て、原発を自分の管轄エリアの中に持っているのに対し、東京電力だけが管轄エリアには一つの原発もなく、その全てを東北電力の管轄エリアに押し付けていることです。東京都知事は今回の大震災について「天罰だ」との暴言を吐きましたが、実に東京電力管内の私たちは「天罰」までも他人様の土地へ押し付けて恥じない、醜悪きわまりない人種になってしまっているわけです。

ところで、どうして東電をはじめとする日本の電力会社は、原発推進を続けてきたのでしょうか。

元来の原因は、まちがいなく「国策」でした。石油に頼りきりのエネルギー政策から脱却したい、という当時としてはもっともな理由に加え、潜在的な核兵器開発力も持っておきたいという、これも欧米的感覚からいえば分かりやすい思惑もあって、日本は1960年代から「原子力の導入」に乗り出しました。ちなみに現代日本語では、北朝鮮やイランが日本と同じことをすると「核開発」と呼び、日本や欧米諸国がイランと同じことをすると「原子力利用」と呼びます。やっていることは基本的な部分では変わりません。

さて、ところが一旦動き出した日本の原発建設は、良くも悪くも国家的な安全保障政策とは無関係な方向に進んでいきます。核兵器の開発に直結するようなことにはならずにきたのは良いとして、かわりに、世界一の地震大国に54基もの原子炉がひしめきあう危険極まりない光景が、この日本列島に繰り広げられることになりました。

なぜか。結局、お金です。巨額の費用がかかる原発の建設工事そのものが、多くの建設会社や電機メーカーにとって貴重な利潤の源泉であり、また、定期的に行われる原子炉の大掛かりな点検・修理・メンテナンスは、多種多様なサービス業務を必要とし、ここにも業界利権が発生します。原発を推進する側の学者たちや、そんな学者を抱える研究機関にも、大きなお金が落ち続ける仕組みができあがっていきます。

そして、こういう利権の構造全体を守ることが、日本の国策として定着します。本来、原発は、建設や安全性確保のコストに比べて、決して効率の良いシステムでもありません。それでも原発建設を続けるために、電力会社が地域ごとの送電システムを独占する体制(ほかの会社が自然エネルギーなどで独自の発電を行っても、その電気を消費者に届ける送電網はすべて東電などの各電力会社が握っているため、電力会社の存在を脅かさないような不利な条件でしか事業展開できない)も改革することはできなかった。

このような利権システムに手を付けようとすると、それが経済産業省の優秀な官僚であろうとも、すぐに閑職に追いやられ早期退職を余儀なくされる。

マスコミでも、ほかのどんな問題を報道するよりも困難だったのは、原発の推進に不利になる情報発信をすることでした。これについては、電力各社が民放各社にとって最大の広告主であるために、放送局が電力会社の機嫌を損ねる報道をしなくなっているのだ、という説明がしばしばなされますが、NHKも多くの大新聞も同様の報道姿勢だったことを考えれば「広告主としての電力会社の圧力」だけで問題を説明するのにもムリがあります。

むしろ、おそらくは電力会社の労働組合までも含む、「原発利権」にありついてきた膨大な人々の総意が、これまで長年にわたって原発批判を封じこめてきた、と言うほかないように思います。

東京電力そのものに特有の大きな問題があったことは間違いなく、それについては最近は一部の週刊誌などが、かなり突っ込んだ報道をするようになってきています。でも、東電を叩けば問題は解消するのか?たぶんそうではありません。東京電力の醜悪な姿は、お金が日本国内を円滑に回転しつづけることだけを国策としてきた戦後日本全体の鏡であり、その国策を打ち破るには、組織や業界の壁を乗り越える私たちみんなの協力こそが不可欠なのだと思います。

そのとき、浜岡原発の門前で「私は原発を信じる」と断言した中電職員や、署名運動に協力することのできない自分の姿を私の前に晒して去っていった東電OLが、もしかすると味方になるのかもしれない。そういう希望をはじめから捨ててしまい、「東電」を一括りにして敵側に追いやる、そういう運動の仕方もまた、いま本当に反省が必要になっていると思います。何といっても私たちは、私自身は、いろいろ大騒ぎして運動してきたにもかかわらず、福島の悲劇を防ぐことがとうとうできなかったのですから。
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