新宿アルタ前の「歴史の天使」

稲葉奈々子(Nanako Inaba)

私にとっての社会運動の原風景

1989年11月、私はテレビの前に釘付けだった。ベルリンの壁の崩壊。それ以前から、東ドイツの民主化運動で街頭に繰り出す人の数は、政府が統制できないほどの数になっていた。ハンガリー政府は、東ドイツ市民がハンガリーを経由してオーストリアに越境することを黙認し、人の流れは止まらなかった。ついに東ドイツが東西の国境開放を宣言したのが11月9日のことだった。

そのときの感覚は、「衝撃」や「興奮」というよりは、「唖然」といったほうが正しい。ただただひたすら、ぽかんと口をあけて、テレビの画面を見つめていたと思う。それほどまでに、冷戦体制は強固に思えていた。ブランデンブルク門の東西ベルリン間の通行を28年にわたって遮断してきた壁を、数万人の人々が乗り越えていく。歴史が動く瞬間であった。「変わるんだ。こんなふうにして社会は変わるんだ」と、あっけにとられた。それも、街頭に繰り出す、あるいは国境を越えることで、「歴史」に名が残るわけでもない数万人の「普通の」人々が動かした歴史なのだ。

そんな風景も記憶の彼方に埋もれた頃の2007年6月、私はハイリゲンダム・サミットに対する抗議行動のキャラバンでドイツまで行った帰路、ベルリン駅でパリに向かう夜行列車を待っていた。ふと、ブランデンブルク門に行ってみようと思い立った。電車で数駅行けば、ウンター・デン・リンデンに到着する。ブランデンブルク門がすぐそこに見えた。感慨深さと同時に、ベルリンの壁が崩壊して、私たちが手に入れたはずの「自由」ってなんだったんだっけ、とちょっと脱力する。私がこうしてベルリンにいるのは、他でもない<新自由主義>を象徴するG8に対する抗議行動の帰りなのだ。あれから20年のあいだに、私たちはどんどん「不自由」になっていった。

60年代以降の西欧世界の社会運動は、東欧の民主化運動とは異なって、国家による生活世界の植民地化に抗する運動だったが、それは紛れもなく自由を求める運動だった。ところが80年代以降、貧困問題が迫り出してくるようになると、人々はむしろ国家の介入を求めるようになっていく。2000年以降になると、そこに治安問題が加わって、監視社会が受け入れられるようにすらなっていった。2000年以降に登場してきた反グローバリズム運動は、そんななかで抗議の時代の再来として受け止められた。

奪われた共同性

日本でも、90年代半ば以降、さまざまな社会運動が生起した。しかし、西欧で同時期に活性化した運動との相違は、社会運動の意味が、過剰に、<居場所>と<共同性>、そして<自分探し>に求められる点であろう。

社会運動が共同性を基盤とし、そこが多かれ少なかれ<居場所>としての機能を果たすことで、人が集い、運動が形成されるのは、あたりまえだ。もちろん、日本の場合、他の国と比較しても、生活世界がすっかり「市場」に植民地化されてしまい、異議申し立てを政治的に表出する<市民社会>どころか、市場から排除された者はどこにも<居場所>がなくなってしまうほどに、私たちはバラバラな個人にされてしまった。仕事をしていなければ、こうまで<居場所>がない国を、私は日本の他に知らない。何を生業にして生活しているのかわからない、ちゃらんぽらんな人が、日本にはとても少ない。そういう人が生きていける場所がない。そうした空間を、社会運動の場に見いだして、評価するのは、運動の当事者であっても、社会運動研究者であっても、当然の成り行きだった。実際、日本においては直接行動の抗議型の運動よりも、あたらしい共同性を醸成するような取り組みのほうが多く試みられている。

新自由主義的な主体になれなかった人たちは、自己の尊厳を否定され、存在価値すら認められない。社会運動が、そこから自己を回復する<居場所>として機能する、その過程に注目することは、こうした日本の文脈からすれば納得はいく。しかし、それは社会運動の担い手たる主体形成の過程のみへの着目である。

自己の尊厳のための闘い、奪われた共同性を取り戻す闘い、失われたアイデンティティを取り戻す闘い。研究者の側は、そんなふうにのみ、社会運動を読んでしまう。でも、社会運動そのものが提示するイシューについて議論されないままなのである。

見失われたイシューを求めて

それではイシューは何か。社会運動は、権力構造を明らかにし、それを変えようとするものである。それにはまず、権力構造の形が把握されなければならない。しかし、ここで社会運動研究者はつまづくだろう。今日の抗議型の社会運動が掲げているイシューが、70年代の枠組みのままに見えてしまうのだ。「敵」は、国家や国際機関なのだろうか、という疑問。主体形成への着目だけでは、研究者は、社会運動にとって一義的な目的であるはずの、どんな権力構造を名指し、変更しようとしているのかを見失ってしまう。といいながら、私自身も、90年代以降の権力構造を語る「でかい話」には説得されたことがない。それは70年代にすでに語られたことだからだ。

そこで「新自由主義」という権力構造を描きだす論者もいる。しかし、これは多くの場合、闘う相手は相変わらず70年代と同じ図式でしかとらえられておらず、「自己責任論」の構造を析出するのみで、トートロジーに陥ってしまう。ネオリベ=自己責任論という図式は、結局、主体形成の話に戻ってしまうからだ。すべてが自己責任として、個人がその結果を引き受けさせられる。奪われた共同性を取り戻せ、という話になってしまうのだ。それほどまでに、私たちは自分のなかに、今の不幸の原因をみつけるようにさせられているのも事実だ。そうすると、個々の社会運動のイシューは二義的な重要性しか持たず、社会運動という行為において、現実社会の権力構造が再生産されないような、平等な関係や、直接民主主義が遂行されていればよいと、社会運動が自己目的化してしまうではないか。

当事者運動でしかありえない社会運動

社会運動のなかに自分をどう位置付けても居心地が悪い。この居心地の悪さは、私たちはもはや、国家や、ある体制の「外側」に立って、鳥瞰的な位置から闘うことができないことからくる。現代社会においては、何もかもが自分の行為の結果であり、その結果がブーメランのように自らに返ってくる。今日の社会問題は、ある日突然、宇宙からやってきて東京を破壊するウルトラマンの怪獣ではないといわれる。そうではなく、人間がつくりだした原子力事故によって生み出されたゴジラが、東京の町を踏みにじる図式なのである。

そうなると、社会運動は、大文字の権力に対する抗議にとどまらず、権力構造の一部をなす自己への抗議も含まざるをえない。この構造に意識的になった社会運動は、おのずと「当事者運動」にならざるをえない。それは単純な支援者/加害者/被害者の関係ではない。それを引き受けた上の社会運動は、70年代と表面的には同じイシューを扱いながらも、本質的に異なる運動であろう。

過去の救済

当事者運動とは、ベンヤミンがいう、死者の声へ耳をとぎすます動作からはじまるだろう。それによって、勝者に独占されてしまった過去の解釈を、私たちが取り戻すのだ。ところが、今日の社会運動は、新自由主義を枠組みとする勝者の解釈を受け入れてしまっている。勝者は死者のメッセージを、今の私たちを抑圧するために用いる。私たちは、死者のメッセージを、私たちの側に取り戻して、私たちの闘いを闘いなおさなくてはならないのだ。それは、死者のための代理戦争ではない。
そんな闘いを、6月11日の脱原発運動が合流した新宿アルタ前広場で垣間見た。深夜2時頃だ。70年安保のときに赤ヘルだったという男性が、福島原発で許容される被爆限度を超えての作業を志願する行動隊に応募したと語ってくれた。要するに決死隊である。64歳になるというその男性は、「70年に死んだようなものだから、あと5年や6年生きてどうということではないから、それなら未来のために、誰かが行って原発をとめないと。右も左もない。運動圏の人には権力の手先になってどうすると批判されるが、権力もできない、東電もできないなら、誰かがやらなきゃならないじゃないか」という。よれよれのおっさんである。中卒であとはずっと働きながら高校も定時制にいって、大学は夜学に通って、「部落産業」で働き続けたという。彼は、70年には、デモを鎮圧する機動隊を敵だと思っていたという。「でも、夜学といってもあの当時大学に行っていれば、あの機動隊よりも自分はずっとエリートだった。そういう問題が見えていなかった。今、あのお母さんたちが、子どものために福島を何とかしてくれといっている。それを何とかしなくてはならないのは、右とか左の問題ではないだろう」と。

彼がもういちど闘おうとしているのは、70年代の闘いではない。自分が、気づかないうちに踏みにじってきた人たち。その人たちの「闘い」は、街頭にでてデモで主張が叫ばれた闘いではないかもしれない。生きていくための、たった1人の孤独な闘いだったかもしれない。

命にかかわるやばいことは、誰かがやってくれるだろう。そうやって、私たちが見ないですませてきた歴史がある。その歴史の担い手が、ベンヤミンがいう「死者」なのだ。勝者が語る歴史には登場しない人たち。沈黙したまま死んでいった人たち。その人たちのメッセージに、私たちが耳をとぎすますことができるかどうかだ。勝者の解釈を採用する必要はない、私たちが受け取るべきは、敗して死んでいった人たちのメッセージなのだ。それを「お国のための死」というメッセージとして受け取って、顕彰する右翼もいるだろう。そうではないはずだ。沈黙したまま死んでいった人たちのメッセージに耳をとぎすまし、勝つまで何度でも闘い直そう。
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