スレイマン・ブルキッチ
悪を為すものが世界を破壊するのではない。5月31日、『東京スプリング』のスポークスパーソンの一人である私は福島県富岡市と大熊町を訪れた。
悪が為されるのを何もしないで見ている者が世界を破壊するのだ。
―A・アインシュタイン
富岡市には東京電力が所有する福島第一原子力発電所があり、2012年12月時点の人口は1人である。
大熊町には東京電力が所有する福島第一原子力発電所があり、2012年12月時点の人口は―一時期間が認められたので―104人である。
ウィキペディアには富岡市と大熊町は放棄(アバンダン)されたとある。「アバンダン(abandon)」の語源を調べてみた。そもそも「アバンダン」は「制御下に置く」という意味であった。後に「誰かの制御の元に明け渡す。降伏して譲る」ことを示した。
5月31日早朝、私たちはバスで横浜を発ち、福島へと向かった。この旅行は、日雇い労働者やホームレスのために活動している社会運動家によって企画、実行された。
車中で私は何度か眠り、気がつけば着いていた、というか着くところだった―休憩所で私たちはガイドを迎えた―マスミ・Kさんという素敵で勇敢な婦人である。福島に着いてまず思ったのは、「あれ、もう着いたのか。早いな。」とても近い。東京に。200キロメートルぐらいか。次に思ったのは2020年に催される東京オリンピックのことだ。そんなイベントをやろうという考えがどんなに汚らわしいものか。そういうことを思い始めた。
日本政府は恥を知れ。
福島が死につつあるのにオリンピックを心待ちにしている日本人は恥を知れ。
東京をホストに選んだオリンピック委員会は恥を知れ。
己の非力さも罪も自覚せず痛みを感じない、己が恥知らずであることもわからない恥知らずは恥を知れ。
日本政府と東電と無関心な大多数の日本人、彼らの強欲が福島を殺した。三猿ども―ミザル、キカザル、イワザル。
『オール・ザ・ワールド・イズ・グリーン』というトム・ウェイツの歌がある。福島には緑が満ちている。こんな豊かな緑はこれまで生きてきて見たことがない。そしてこれはこれから私が話そうとしている福島のある場所の様子なのだ。世界中の緑が連帯して放射能と闘っているという感じだ。その私たちを取り巻く緑の上には海のような青い空。手を伸ばして手を青に染めてみたくなるような。美しさで窒息しそうだ。
1986年、チェルノブイリの惨事が起こったとき、十代だった私は旧ユーゴスラヴィアにいた。私が見た国営放送が伝える映像は、みすぼらしい地域の―たとえ事故の前でも、そこはいつもみすぼらしかった―灰色の空、灰色の風景だった。だから嫌な感じはしてもその映像は破滅とよく似合っていた。福島で美は包囲攻撃を受けている。エデンの園でこんなひどいことが起こりえるのか、という不可解さだ。
マスミ・Kさんを迎えた休憩所は富岡市の入り口でもあり、そこで水色の防護マスクと白い靴カバーを受け取った。私はすでに自分で高価で質の良いマスクを用意していた。富岡駅の残骸のそばで、私たちはバスを降りた(1時間弱のうちにバスを降りたのは2回だけだった)。バスを降りたときまず質問したかったことは、「いったいここは2014年なのか」ということだった。この地域が地震、津波、原発事故に見舞われたのは2011年で、その惨事から3年間何もなされていない。線路は植物に覆われ見えなくなっていて、駅の周囲とその向こうにあるものは、壊れた窓、ひび割れた壁、崩れた壁、崩れた板か何か、高く生い茂った雑草、ひっくり返ったまま錆付いた自動車、折り重なった自動車、野生の植物に乗っ取られた庭の中で潰れて錆だらけになっている自動車、ひび割れた道路、そういったものたち。
この地域は労働者を連れてきてきれいにするにはあまりに汚染されている、と言う人がいる。けれど、この何百メートルか先、すぐ近所で、数は少ないが人々が住み、働き、日々を送っている。
富岡駅の線路の向こうの広大な土地には、汚染された土や枝を集めた大きな黒いビニール袋が何百も点在している。ブルドーザーと作業員たちもいる。富岡市と大熊町のどこでもそんな様子を見た。ある所ではそのような、見たところ1メートルⅹ1.5メートルぐらいの、大きな黒いビニール袋が何千か何百か、びっしりと並んでいた。ある所では数個が電柱の根元に集められていたり、単に野原(美しい緑)の真ん中に置かれていた。こうして日本政府は除染をしている振りをしているらしい。別の場所では何百の袋が大きな緑色のシートで覆われていて、遠目にはたんに野原にしか見えない。これも日本政府が己の犯罪的な無能さと嘘をカモフラージュし、ひた隠すやり方のひとつだ。この袋はよく膨れて破裂するらしく、地元の農家らしい人が突いて穴を開けている所もあった。
事実日本政府は避難民に対し、全ての地域でないとしてもある地域については帰還しても十分安全だと言っている。
道をもっと行くと、放棄された住宅地があった。きれいな家や庭が何か違うものに変わっていた。マスミ・Kさんによると、家の中ではねずみが走り回り、通りを闊歩するイノシシの数は増え続け、そればかりか放置されている家電を盗みに入る空き巣もいるらしい。彼女は政府の安全政策の馬鹿馬鹿しさの好例として、路上にある、ここからが汚染された土地、ここからが汚染されていない土地、と隔てるためにきっぱりと立っている高いフェンスを指差した。そのフェンスはガードマンに護られている。彼らは雨の日も晴れの日もフェンスに沿って並んで立っている。中にはマスクを着けていないのもいる。長い長い空っぽな、きれいな道路の両端には緑の木々が立ち並び、あちこちで点滅するオレンジの信号機。その奇妙で恐ろしい静けさ。全く混乱させられる。
マスミさんによれば、人々は政府を信頼する派と信頼しない派に分かれているそうだ。その対立の一例として、同じ校区の小中学校の二人の校長の一方が、ここは全て安全でコントロールされていると子供と親たちに言い、もう一方は、できればここを立ち去るべきで、それができなければ細心の注意が必要だと説いている、ということを挙げてくれた。
壊れた道路のある部分は修復されている。ある場所で私たちは、たくさんの作業員やいろいろな建設会社の名前が大きく書かれたブルドーザーやトラックが、どこからともなく集まってきているのを目にした。除染作業のための大きな駐車場、移動トイレ、仮設住居を建てているらしい。
「福島を忘れないでください」と、マスミ・Kさんは言った。
私たちのガイド、マスミ・Kさんについて―。
この婦人は50歳代終わりか60歳代初めで、ずっと反原発の運動家だった。彼女の父も熱心な反原発運動家で、ある建設現場で奇妙な事故があって亡くなった。大熊町出身で、2011年の原発爆発の後家族と共に避難し、今は会津若松の仮設住居に住んでいる。事故の直後、彼女らはみな避難所となった体育館に移動させられた。その避難所で彼女は放射能の危険や政府の嘘について書いたものを出版し始めた。ここのところずっと癌と闘っていて、数回手術を受けている。そんな苦しい経験のさなか、夫もまた重い病を患い、新しい腎臓が必要になった。彼女は夫に片方の腎臓を与えた。また、日本政府の数々の嘘に対して闘っているフェミニストグループの一員でもある。そういった活動のために、匿名の脅迫もよく受けている。
富岡市と大熊町を出て、私たちはマスクと靴カバーを脱いでビニールのゴミ袋にしまい、いわき市まで引き返した。そこの公民館のような所で、一人か二人の除染作業員と、マスミさんとで話をするためだ。一人の作業員が匿名で写真も撮らないことを条件に、話すことに同意してくれた。私たちは弁当を与えられたが、私はすでに自分の食べ物と水を用意していた。いわき市は富岡市の隣にあるけれども、安全であることになっている。
匿名の作業員は労働環境について語ってくれた。汚染された土を掘り起こしかき集め、汚染された木を切り、例の大きな黒いビニール袋に詰める。彼らに配布されている「防護」手袋を見せてくれた。私が東京で家を掃除するときに使っている手袋のほうが良いと思う。また、「防護」マスクも見せてくれた。これも私が一日福島を訪問するために持ってきたもののほうが、彼らが毎日朝から晩まで仕事のために使っているものより高品質で高価だ。
何の規則も、(私の好きな言葉ではないが)規制も、(あなたの好きな言葉かもしれない)ガイドラインも、彼らの安全のために用意されていない。彼らが労働環境について不満を述べても、聞いた振りをして何もしないというのが、彼らの派遣元の仕事なのだ。彼らと元請けの間には多くの下請け業者がいて、彼らの不満の声は「しかじかのルート」を経て伝えられることになっているが、届くことはない。健康リスクを考えれば、給料はそれに全く見合わない。作業員の半数は地元から集められ、とくにその一部は津波で破壊された港湾の労働者だそうである。残り半分は北海道から沖縄まで、日本のあちこちからはるばるやって来ている。多くの作業員は作業途中でマスクを脱いでしまう。暑すぎるか、質の良いものではないので身につけても心地よくないからだ。
これらはこの若い匿名の作業員が語ってくれたことの一部である。彼はまた元請けとそれに連なるたくさんの下請け業者たちによる、大小さまざまの搾取について語ってくれた。けれど私はもう聞いていなかった。悪気があったわけではない。話があんまりで、圧倒されてしまったからだ。終いにはまるで正常なことのように聞こえてくる。彼の話を全部重い出せなくて申し訳ない。この地域の行く先々で見聞きし感じたことは、日本政府の嘘と犯罪である。正直言って、このミーティングの終わりのほうで、私はもう逃げ出したくなった。胸を張って言えることでもないと思うが、これが私の感じたことなのだ。自分の周りの何にも手を触れないように注意することに疲れたし、触れたら手を口に付けないように注意することにも疲れた(訪問前にも訪問中にも、そうせよとアドバイスされていた)。
でも、東京に帰ってきたら、今度は福島に戻りたくなった。東京にいるとますますむかつくのだ。
若い匿名の作業員の話の後、マスミ・Kさんがまた話した。多くの苦しみのこと、増え続ける自殺、アルコール依存、家庭内暴力、うつ病。原発事故の後(事故はまだ続いている)、しばらくの間、多くの人々が、犬や猫も含めて、突然鼻血を出し始め、それはしばらく続き、あるとき突然止まった―そんな話もあった。
話し終わった彼女に私たちのうちの一人が尋ねた。「私たちは東京や横浜にいて、何ができますか。どうすれば助けになりますか。」マスミさんは答えた。「私たちを忘れないでください。福島を忘れないでください。」
なぜこんなことが起こったのか。なぜこんなことがまだ起こり続けているのか。少なくとも私には―短絡的という人がいるかもしれないが―フライング・ダッチマンというバンドの『ヒューマン・エラー』という歌の一節が答えだ。「金だよ!カネ!」である。
写真をたくさん撮った。私のフェイスブック、タンブラー、グーグルプラスのページで見ることができる。
富岡市というゴーストタウンから大熊町というゴーストタウンに向かう途中、突然家族が住んでいるらしい家を見つけた。政府がそこは安全できれいだと言ったから、そこに住み続けたのか、あるいは帰ってきたのか。それともたんに持ち物を取りに戻ってきただけなのか。まあいい。十代ぐらいの少年が家のそばの道路に、青い短パンと赤い模様の入った黒いジャージを着て(裸足だったかサンダルを履いていたかは忘れた)立っていて、私たちのバスが通り過ぎるのを見つめていた。私たちは見つめ返した。
“The world will not be destroyed by those who do evil, but by those who watch them without doing anything.”
A. Einstein
I, one of the spokespersons for Tokyo Spring, visited Tomioka city and Okuma Town in Fukushima prefecture on May 31.
Tomioka is the location for the Fukushima Daini Nuclear Power Plant, Tepco owned.
Population in January 2012: 1
Okuma town in Fukushima prefecture, site of Daichi Nuclear Power Plant, Tepco owned, population in December 2012: 104 (allowed to temporarily return)
On Wikipedia it says that Tomioka and Okuma are abandoned towns. I looked up the origin of the word Abandon. The original sense of Abandon was “bring under control”, later “give in to the control of, surrender to”.
We left for Fukushima by bus very early on May 31, from Yokohama. The trip was organized by social activists working with day laborers and the homeless.
I dozed off a couple of times during the ride and the next thing I knew, we were there, almost there. We stopped at a rest area to pick up our guide, the lovely and brave lady Masumi K.
My first reaction when we arrived in Fukushima was: Wow! We are already there? That was quick! That’s close…close to Tokyo, 200 km I think. Then I just started to think about the Olympic Games to be held in Tokyo in 2020 and how obscene the idea of such an event was.
Shame on the Japanese government!
Shame on all the Japanese people who are looking forward to them while Fukushima is dying!
Shame on the Olympic committee for choosing Tokyo as host!
Shame (total lack of it in this case): A painful emotion resulting from an awareness of inadequacy or guilt.
Fukushima was murdered by the combined greed of the Japanese State, Tepco and the greed of a large portion of the indifferent Japanese population.
The 3 monkeys: Mizaru, Mikazaru and Mazaru.
There is a song by Tom Waits called All The World Is Green.
All Fukushima is green, I have never seen so much lush green in my life, and I am just talking about one part of Fukushima prefecture. It’s as if all the green of the world had gathered there in solidarity to fight radiation. All green around us and above our heads a sea of blue sky, I felt like dipping my hand in it. The beauty of it all was suffocating.
In 1986, when the Chernobyl nuclear disaster happened, I was a teenager in Yugoslavia, from the images I saw on State TV I found that region bleak, even before the tragedy it always looked bleak, grey sky, grey landscape…so, in a very sick way, it went well with the catastrophe, a good match. In case of Fukushima, Beauty was under siege, it just didn’t make any sense to me that something so horrible could happen in Eden.
At the rest area where we stopped to pick up our guide, Masumi K., a little before Tomioka, light blue protection masks and white shoe covers were handed out to us, I already had my own, quite expensive good quality mask. We arrived at what’s left of Tomioka station and got off the bus, we will have gotten off only twice, for in total of less than one hour. The first question I felt like asking once off the bus was: we are in 2014, right? The area was ETN (earthquake, tsunami, nuclear) struck in 2011, during the 3 years following the calamity no work to fix whatever was done. The railway tracks have disappeared under a fast growing jungle and the whole neighborhood around the station and beyond is…well…broken windows, cracked walls, collapsed walls, collapsed roves, tall weeds, overturned rusting cars, piled up cars, smashed rusting cars in gardens overtaken by wild plants, huge cracks in the streets…
Some say that the zone is too contaminated to bring in workers to clean it up, but a couple of hundreds meters away, in the next neighborhood, there are a few people living and working, running businesses…
On the other side of Tomioka station tracks is a long stretch of land dotted with dozens and dozens of huge black plastic bags containing contaminated soil and tree branches, there are also bulldozers and workers walking about. These huge black plastic bags, 1x1.5 I’d say, are everywhere, the whole area that we visited, Tomioka and Okuma, all the fields around them, are dotted with them, there are places where there are hundreds of them, if not thousands, sometimes all together, next to each other, lined up along the roads or just 3 or 4 next to an electric pole or just sitting in the middle of a green, green beautiful field. It seems that’s how the Japanese government is pretending to decontaminate the area. I also saw places where hundreds of these bags are in turn covered with huge green plastic sheets, and seen from afar, you’d think they are fields, maybe it’s another Japanese government’s way of trying to hide, camouflage, cover up, sweep under the carpet its criminal incompetence and lies. There are places where local farmers, I think, go around piercing holes in them bags because they tend to inflate and explode.
The Japanese government is actually telling internal refugees that some areas, if not all, are safe enough for them to return.
After some more time on the road, we visited an abandoned residential area with empty beautiful houses, gardens turning into something different, our guide Masumi K. told us that the inside of the houses is overran by mice, growing numbers of wild bores feel more and more free and daring to roam the streets, and as if that weren’t enough, burglars are helping themselves with abandoned stuff, household appliances and such…she also pointed out for us the ridiculousness of government’s safety measures by showing us some streets where head high fences have been erected in the middle dividing the contaminated areas from the non contaminated ones in a clear, precise and straight line fashion, the fences themselves were guarded by uniformed guard men, standing all they long there in front of the fences, in the sun or rain, some of them not even wearing a mask. There were traffic lights here and there with a blinking orange light, long, empty, pretty streets with green trees on both sides and eerie silence mixed with total confusion.
According to Masumi san, the population is divided between those who trust the government and the ones who don’t, she gave us an example of the schism, 2 elementary or junior high schools in the same area, two principles, one telling the children and the parents all is safe and under control, the other saying they should leave, if possible, or advising them to be extra careful…
Some of the damaged roads have been patched up. At one point we saw a lot of workers in the middle of nowhere, big bulldozers, trucks from various construction companies with their names displayed on big billboards, we were told they were building a huge parking lot for the cleaners, with mobile latrines and temporary housing units…go figure.
Don’t forget Fukushima are the words spoken to us by Masumi K.
Our guide Masumi K:
She is a lady in her late 50s, early 60s, an anti nuclear activist since ever, her father was a fervent anti nuclear activist, too, he died in mysterious circumstances in an accident on a construction site. Masumi is from Okuma which she fled with her family after the nuclear explosions in 2011, they now live in a temporary housing unit in Aizuwakamatsu. Right after the catastrophe struck, they were all placed in a sports center turned internal refugee shelter where she started publishing a paper about the dangers of radiation and exposing government lies. She has been also battling cancer for some time now, underwent surgery several times. During the ordeal her husband got seriously sick and needed a new kidney, Masumi gave him one of hers. She is also a member/head of a feminist group fighting against the Japanese government’s reassuring lies. She has also been receiving veiled anonymous threats regarding her activism.
After Tomioka and Okuma, we took off our masks and shoe covers, put them in a plastic trash bag and headed back for Iwaki city to some sort of town hall to hear a talk by a couple of cleaners and Masumi K. One worker agreed to talk to us on condition of anonymity, no photos, no name. We were served lunch boxes, I had brought my own food and water. Iwaki city was supposed to be safe, we were told, although it’s next to Tomioka. The anonymous worker told us about their working conditions, the raking and scooping of contaminated soil, the trimming of contaminated tress and filling of those huge plastic black bags. He showed us the “protective” gloves they were given to do the work, the gloves I use to clean houses here in Tokyo are better than his, I believe. He also showed us the “protective” masks…again, the one I had brought with me for a one day visit to Fukushima was way better and more expensive than the masks they use working there all day long, everyday. There are safety…I wouldn’t say rules and regulations…guidelines if you like, nothing is enforced. When they try to complain about the working conditions, they are met by HR people whose job it seems is to pretend to listen to them and do nothing about it. Most of the complaints get lost half way through “the proper channels” which involve dozens of sub contractors. The pay is far from great considering the health risks. Half of the workforce is local, some were dock workers from the ports that were destroyed by the tsunami, the other half form all over Japan, as far away as Hokkaido and Okinawa…Many workers doing the cleaning take off their masks in the middle because it’s too hot or just because of their bad quality they are uncomfortable to wear…
These are just a few things among many others that this young anonymous worker told us, he told us about so many small and big acts of exploitation by top firms and their myriad of subcontractors that…well…one stops listening, not on purpose, but it’s just too much, too overwhelming, it starts sounding normal after a while, I am sorry I can’t remember all of it. At every step in that area one can see or hear or feel the Japanese government’s lies and crimes. To be honest, near the end of the meeting I just wanted to get out of there, I am not proud of myself for saying this but that’s how I felt. I just got tired of being careful not to touch anything around me and if I did, I had to be careful not to touch my mouth…those were some of the instructions we were given before and during the visit. Once back in Tokyo, I wanted to go back to Fukushima. In Tokyo I feel loathing more than ever.
After the young anonymous worker, Masumi K talked again. She told us, again among many other stories of suffering, about the increase in suicides, consumption of alcohol, domestic violence, depression…she also told us how after the ongoing nuclear disaster there was a time when quite lots of people suddenly started having nose bleeds, cats and dogs too, it lasted for some time and then it suddenly stopped.
After her talk someone among us asked her: “What can we do from Tokyo and Yokohama? What can we do to help?
Masumi answered: “Don’t forget us. Don’t forget Fukushima.”
Why did all this happen? Why is it still happening? The answer, at least for me, although too simple for some maybe, is this line from the song Human Error by Frying Dutchman: “it’s all about money, money, money!”
I took a lot of photos of all this, you can see them on my facebook timeline, my tumblr or my google+.
On the way out of ghost city Tomioka to ghost town Okuma, we suddenly saw a house with a family…living there or who had stayed there or who had returned because the government told them it was safe and clean or who had just dropped by to pick up a few of their belongings…anyway, there was a teenage boy standing next to the house, in the driveway, wearing blue shorts, a black jersey with red patterns, bare feet or wearing sandals, I forgot, he was staring at our passing bus…we stared back.
Sulejman Brkic
June 12, 2014
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